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大阪高等裁判所 昭和61年(う)993号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一八〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人及び弁護人村上正己それぞれ作成の各控訴趣意書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一弁護人の控訴趣意中憲法三一条、刑事訴訟法三七八条三号違反をいう論旨について

論旨は、原判決は、被害者が告訴しておらず、従つてまた、起訴されてもいない強制わいせつの事実を実質上処罰する趣旨で量刑資料としているから、いわゆる不告不理の原則に違反し、かつ、法律に定める手続によらずして被告人に刑罰を科したものというべきであり、憲法三一条及び刑事訴訟法三七八条三号に違反する、というのである。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査して検討するのに、本件は、生活費等に窮した被告人が、1高級住宅街に住む女性を略取してみのしろ金を取得しようと企て、昭和六〇年一二月二日午後七時三〇分ころ、兵庫県〈以下略〉先路上において、帰宅途中のA子(当時二四歳)の両腕をつかみ、腹部を膝で蹴るなどして、同女を自己所有の普通乗用自動車(ワゴン車)後部座席に押し込み、「静かにしないと殺してしまうぞ。」と脅迫し、その両手、両足を電線で緊縛するなどして抗拒不能ならしめ、もつて、同女の近親者の憂慮に乗じて金員を交付させる目的で同女を略取した上、同日午後一一時ころから翌三日午後七時二三分ころまでの間、計五回にわたり、極度に畏怖している同女をして、同女の安否を憂慮しているその母B子らに対し、A子の命が大事であれば五〇〇〇万円用意して指示する場所に置くよう電話で申し向けさせるなどして、被拐取者の安否を憂慮する近親者の憂慮に乗じて財物を要求する行為をし、2右A子を略取した同月二日午後七時三〇分ころから、同女が警察官によつて救出された翌三日午後七時四〇分ころまでの間、電線でその両手、両足等を緊縛して、同女を前記自動車内に閉じ込め、同県三田市内、京都府亀岡市内、同府舞鶴市内等を走行するなどして脱出を不能ならしめ、もつて同女を不法に監禁し、その際、右緊縛等により、同女に対し、加療約一四日間を要する両側頸部打撲擦過創、左環指爪部打撲内出血等の傷害を負わせたという各事実(1につき、みのしろ金目的拐取、拐取者みのしろ金要求罪、2につき、逮捕監禁致傷罪。なお、起訴状罪名欄及び原判決の被告事件名欄に各「拐取者みのしろ金取得等」と記載してあるのは例文的表示であつて、具体的にはそれぞれの事実記載に照らしいずれも「拐取者みのしろ金要求」の趣旨と認める。)により起訴された事案であるところ、原判決は、ほぼ起訴状記載の公訴事実に副う事実を認定した上、本件犯行の動機・罪質、手口・態様の悪質性、被害者及び家族に与えた苦痛の程度、この種犯行の有する模倣性・伝播性、地域社会に与えた社会的影響等諸般の情状を考慮して、被告人を懲役八年に処したものであつて、所論のいう強制わいせつの事実は、原判決の「罪となるべき事実」の認定においても「量刑の理由」中の説示においても、全く論及されていない。したがつて、原判決は、その判文自体によつてみる限り、有罪と認めた犯罪事実自体の悪質性・重大性等に着目して前記の刑を量定したものと認めるほかなく、その量刑が、起訴されていない余罪を実質上処罰する趣旨でなされたものであるとの疑いを生じさせるものではない。もつとも、一般論としては、判決において不起訴余罪につき明示的には全く論及していない場合でも、裁判所が、起訴事実の立証には本来不要でもつぱら余罪の立証にしか役立たない証拠を取り調べていて、しかも、現実の量刑においても右不起訴余罪の存在を除外しては考えられないほど不当に重いようなときは、暗黙のうちに不起訴余罪を認定し、実質上これを処罰する趣旨での量刑がなされたと解せられる場合もあり得るので、以下、本件原判決に右のような疑いがないかどうかについてさらに検討を加えることとする。記録によると、原審第一回公判期日において検察官から請求され弁護人の同意のもとに取り調べられた三〇〇点に近い書証・証拠物の中に、(一)被告人が被害者を拉致したのち自動車内等で同女に対して行つた性的行為(なお、所論は、これが当然強制わいせつ罪を構成するとの前提で立論しているが、被告人は、被害者の口封じの目的で右行為に出た旨弁疏しているので、これが同罪を構成するといえるかどうかについては、最高裁昭和四五年一月二九日判決・刑集二四巻一号一頁の判旨との関係で若干の問題があり得る。従つて、以上においては、右被告人の行為を「性的行為」と呼称するに止める。)をある程度詳細に描写した部分を含むもの(例えば、被告人の捜査官に対する所論指摘の供述調書三通、被害者の司法警察員に対する昭和六〇年一二月四日付、同月九日付、同月一一日付各供述調書、検察官に対する同月一三日付供述調書、司法警察員作成の昭和六〇年一二月二〇日付、同月二七日付各実況見分調書等)、及び(二)右各書証中の性的行為に関する記載の信用性を客観的に担保するためのもの(所論指摘の陰毛に関する鑑定書二通、陰毛の任意提出及び領置手続に関する書類計一六通等)が含まれていることは、所論指摘のとおりであり、他方、同女が捜査機関に対し、右性的被害(所論にいわゆる強制わいせつの行為をされたこと)につき犯人を告訴しない意向を明らかにしていたため、被告人の右性的行為が本件起訴の対象とされていないことも、記録上明白である。ところで、所論引用の最高裁判所の判例によれば、いわゆる不起訴余罪は、これを量刑上考慮に容れることが全く許されないわけではないにしても、それにはおのずから限度があることになるのであつて、その意味からすれば、本件において、弁護人が検察官請求の全証拠の取調べに同意したという事情はあるにせよ、右性的行為の内容につきかかる多数の証拠を取り調べる必要があつたとまでは考えられず、原審の訴訟手続に適切を欠く点のあつたことは、これを否定することができない。しかしながら、更に考えるのに、被告人の被害者に対する所論指摘の性的行為は、起訴事実たる逮捕監禁行為の継続中にこれと密接に関連する、いわば逮捕監禁行為の一部に近いといえる形で行われたものであるから、起訴事実の立証上これを完全に除外することは、事実上困難であるばかりでなく、所論引用の判例にいう起訴事実の「動機、目的、方法等の情状を推知するための資料」として量刑を考える上において持ちうる意味も、起訴事実と全く無関係な余罪の場合とは異る点があると考えられる。従つて、本件のごとき余罪については、検察官が、犯行全体の流れの中で、概括的にその内容を明らかにする程度のことは、許されると解すべきところ、原審においては、右各書証は、いずれも弁護人の同意のもとに取り調べられている上に、そのうちとくに問題になると思われる前記(一)の各書証については、その性的行為に関する描写がいささか具体的に過ぎる感を免れないけれども、右描写部分が、犯行全体の流れの中で触れられているに過ぎず、その量も、取り調べられた全証拠との関係でごく一部であるのはもちろん、当該書証中においてもそれほど高い比率を占めていないことを、また、所論がとくに重視している前記(二)の各書証については、(かかる書証を全部取り調べる必要があつたとまでは考えられないにしても、)これを取り調べることにより、性的行為の詳細が更に明らかになるという性質のものではなく、従つて、量刑を左右する影響力も大きくないことを、それぞれその特徴として指摘することができる。このようにみてくると、本件において所論指摘の各証拠を取り調べた原審の訴訟手続は、起訴事実と無関係な余罪の立証をもつぱら目的とする多数の証拠を取り調べた場合や、弁護人の反対を押し切つて余罪の内容を詳細に立証したような場合とは、おのずからその意味合いを異にし、それが必ずしも適切妥当とはいい難いにしても、直ちにこれを違法と断ずることもできないところであると考えられる。しかも、本件においては、右性的行為の点を全く考慮に容れなくても、原判決の量刑を優に是認し得ることは、後記のとおりである。従つて、原判決が、暗黙のうちにもせよ、不起訴事実を余罪として認定し、実質上これを処罰する趣旨で量刑したものと認めることはできない。。原判決に、所論の違憲・違法は存せず、論旨は、理由がない。

二弁護人の控訴趣意中憲法三七条一項、八二条違反をいう論旨について論旨は、原審において、検察官は、被告人の被害者に対する性的行為につき、冒頭陳述や論告で具体的には全く論及しないまま、これを立証すべき多数の書証を提出したが、右書証については、刑事訴訟法及び同規則の要求する朗読ないし要旨告知の手続が一切省略されているのであつて、原審における右訴訟手続は、憲法三七条一項、八二条に実質的に違反するから、原判決は、刑事訴訟法三七七条により破棄を免れない、というのである。

しかしながら、まず、原審裁判所が、公判の傍聴自体を禁止する、いわゆる公開禁止の措置を講じた形跡は、記録上全く存しないから、原審の公判手続が、形式的な意味において公開されていたことには、疑いを容れる余地がない。所論は、右の点を認めながらも、原審の公判手続が実質的意味において公開されていなかつたと主張するものであるが、憲法八二条は、裁判の対審における基本的な訴訟手続に口頭主義を採用し、右対審を国民の傍聴し得る状態に保つことにより、裁判の公正を担保しようとしたものと解されるのであつて、必ずしも、刑事被告事件の公判廷における訴訟行為のすべてを口頭で行うことや、書証の取調べにつき朗読や要旨の告知を絶対不可欠のものとしているのではなく、公判手続にどの程度口頭主義を採用するかは、憲法の右規定の趣旨を没却しない限り、大幅に立法政策に委ねられていると解すべきである。ところで、現行の刑事訴訟法三〇五条及び同規則二〇三条の二は、憲法の右規定の趣旨のほか被告人の防禦権との関係をも考慮して、書証の取調べには原則として「朗読」を要求し、裁判所が「訴訟関係人の意見を聴き、相当と認め」た場合でも、「要旨の告知」を必要とする旨定めているから、原審が、もし本件書証の取調べに当り要旨の告知すらしていないとすれば、右訴訟手続が、刑事訴訟法及び同規則の右各規定に違反するものであることは、否定できないところであるが、本件公判調書の記載上は、検察官請求書証は、被告人側においてすべて同意の上、異議なく取調べずみとされているので、右取調べに当たつて、要旨の告知すら一切行われなかつたとまでは、にわかに認め難い。のみならず、前示のように本件では、公判の傍聴自体を禁止する措置がとられておらず、かつ、被告人側が書証の取調べの方法につき何ら異議を述べていないことが明らかであるから、本件に関する限り、原審の右訴訟手続が実質的にみて憲法八二条に違反するものであるとか、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反があるとはいうことができないところであつて、右の結論は、弁護人が当審弁論において強調する、本件の原審公判期日に多数の報道関係者が傍聴していたとの事実があつたとしても、左右されるものではない。原判決に所論の違憲・違法は存せず、論旨は、理由がない。

三弁護人の控訴趣意中量刑不当の論

旨及び被告人の控訴趣意について

各論旨は、いずれも量刑不当を主張するので、各所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、本件の事実関係の概略は、前記一のとおりであるところ、その手口・態様は、夜間帰宅途中の若年の未婚女性を突然襲い、これを車で遠隔地へ拉致した上、その間同女に激しい暴行を加えて原判示傷害を加えたばかりでなく、近親者の憂慮に乗じて五〇〇〇万円もの高額のみのしろ金をくり返し要求するという、悪質かつ卑劣きわまるものであること、長時間身体の自由を奪われて被告人と行動を共にさせられた右被害者の精神的・肉体的苦痛及び同女の安否を憂慮する家族らのその間における刻々の心痛には、いずれも著しいものがあつたこと、本件が綿密とはいえないまでもある程度の計画性を有し、模倣性・伝播性をも有する危険な犯行であることなどは、おおむね、原判決が「量刑の理由」の項において説示するとおりであると認められる。もつとも、被告人の所論は、①被告人が被害者をワゴン車で拉致する際の状況等に関する原認定の細部及び②犯行の計画性に関する原判決の説示をそれぞれ争うので一言すると、まず、右①の点につき、被告人は捜査段階以来おおむね所論に副う供述をしているが、右供述は、被害状況に関する被害者の詳細かつ具体的な各捜査官調書の内容に対比し、措信することができない。また、右②の点については、被告人が本件犯行に使用した各種の道具を、犯行に使用する目的で特に事前に準備したと断定するにはなお若干の疑問の余地が残るけれども、本件犯行の複雑な手口・態様及びその間の被告人の言動等に照らすと、本件が、全くの思いつきによる場当り的犯行であるとはとうてい考えられず、被告人は、遅くともみのしろ金目的拐取の犯行を決意して原判示略取場所に赴いた際には、場合によつては自車に積込みずみの各種道具を使用して行うことをも予定していたと認め得るからこれをもつてある程度の計画性を有していたものといわざるを得ず、右計画性の程度は原判決が説示するところよりもやや低いにしても、そのことによつて、本件の犯情が大きく左右されるとは認められない。

ところで、刑法二二四条ノ二所定のみのしろ金目的拐取罪、拐取者みのしろ金要求罪等は、もともと、この種犯罪が、被拐取者の殺害等に至る蓋然性を包蔵し、模倣性・伝播性の強い危険な犯罪であり、また、近親者等の憂慮に乗じて金員を取得しようとする犯人の心情にいささかの同情の余地もないことなどにかんがみ、これらの犯罪に対し、通常の営利誘拐罪よりはるかに重い法定刑を定める必要があるとして立法されたものである。そして、本件のように、被害者たる若年の未婚女性が犯人の男性と長時間行動を共にさせられている事件においては、その間の被害者本人及び近親者の不安・心痛には格別のものがあるし、その生命・貞操等を害されることなく被害者が救出された場合でも、被害者の人生に時に重大な影響を及ぼすおそれがあるから、被告人の刑責は、監禁中における被害者への性的行為の有無にかかわりなく、厳しく追及されてもやむを得ないところであると解される。なるほど本件については、同女に負わせた傷害がそれほど重篤のものではなかつたこと、同女がともかくも無事救出され、みのしろ金の取得も失敗に終つたこと、被告人には、傷害罪による罰金前科一犯以外に前科がないこと、犯行の計画性も、前説示の程度に止まることなど被告人に有利な情状が認められることは所論指摘のとおりであり、また、当審に至つては、被告人が、実姉の自殺を契機に真相を話す気になつたとして、原審においても維持していた虚偽・架空の弁解を撤回し、本件犯行を決意するにつき第三者が介在した事実はない旨鳴咽しながら供述するなど、原審段階におけるよりいつそう反省の情を深めていることも窺われるけれども、これら原判決時及び当審段階のものを含む被告人に有利な一切の情状を十分考慮しても、なお、原判決の量刑が不当に重いとか、これを破棄しなければ明らかに正義に反するなどとは認められない。各論旨は、いずれも理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を、当審における訴訟費用の負担免除につき刑事訴訟法一八一条一項但書を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官野間禮二 裁判官木谷明 裁判官生田暉雄)

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